2006
深くて暗い謎
「男は愛情と性欲を切り離して考えるし、実行できる。」
私もこの事ではさんざん彼と喧嘩した記憶がある。「だからって、よそへ行って浮気するとは言わないけど、事実だからしょうがない。」と、彼は言った。そうでなければ、風俗へ行けるはずが無い、と。今は、女性だって自由になったから、同じ様に考えて実行できる女性だっているだろうけど、やっぱり好みじゃない男に身体を触らせたりしない。
さやかもずっと疑問に思っていたことがあるの。「SMは愛と信頼である。」と、いうテーマ。もちろん愛が無ければSMできないっていう論理は理解できる。Sよりのさやかでも、やっぱりよりいっそう愛される事が好き。「好きな子を苛めてみたい。」って、よくあるパターンだし、愛と信頼がなければ密室で身体を拘束させたりできない。相手はサディストで酷い事するのが好きなんだから。主従関係だったら、主は冷静に計算して行動してるけど、そうじゃなかったらどこへどう転ぶか予測できない。実際に多くの事故が起きて、亡くなった方だっているのだし。
サディストの望む事は、犯罪と紙一重。サディストの行為が犯罪から隔てられているのは、ただただMの側の愛情が頼りなのだから。
だけど、サディスト氏は本当にそれで満足なんだろうか。予定調和のSMの関係の中で愛と信頼に育まれ、一日に何度もメールをやり取りし、愛していると繰り返す。
そうじゃないサディストもいるはずだし、彼らはその欲望をひっそりと闇の中に押さえつけているような気がする。愛して無くてもSMできる。泣いて逃げ惑う相手を押さえつけ。傷だらけに切り刻み、すがってくるのを蹴り飛ばし、気が向かなければ連絡もしない。いや、連絡が無い事でMの側が悶々と悩んでいるのをじっと味わっているのである。相手の苦しみが自分の快感。牢獄の中を這いずり回り泣き悶え叫ぶのをじっと見つめる。愛されるのは好きだけど、愛は返さない。
「だって、愛してる女には酷い事出来ないよ。」
SMって、やっぱりどこか怖い世界なんである。
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